白石神社

由緒・御祭神

当神社の所在地「札幌市白石区」のはじまりは明治4年(1871)11月より仙台藩白石城主
片倉小十郎の家臣佐藤孝郷以下104名の開拓により誕生した白石村です。入植後、日々
の鎮守として神武天皇を祀る神社創建の願いがおこり、この地に創建されました。

由緒記

 当神社は明治5年(1872)3月に白石村百番地を社地として定め、札幌神社(現:北海道神宮)が円山に移転したので、其の旧社殿を移築したことに始まる。創建時、産土神として神武天皇を祀ることを願い出たが、開拓使より「札幌神社遥拝所」として認可される。開拓使 岩村通俊は畝傍山陵(神武天皇の陵墓)の御分霊を白石村守護産土神として与え、開拓使属官 高橋渉を別当として派遣し、同年5月11日に鎮座祭を行う。
 明治24年(1891)に社殿改築の議がおこり、明治30年(1897)9月10日に社殿建立し「白石神社」として公認され、9月11日を例祭日とする。明治32年(1899)に類燃し、明治35年(1902)社殿再建。大正9年(1920)9月6日に村社へ昇格。その後、昭和41年(1966)2月に火災により社殿焼失、翌年11月23日に再建したのが現社殿である。

御祭神

神武天皇じんむてんのう  (神倭磐余毘古尊かんやまといわれひこのみこと)

 神倭磐余毘古尊は、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずみこと玉依姫命たまよりひめのみことの第四の皇子としてお生まれになりました。神武天皇とは崩御のあとにおくられた諡です。
 今からおよそ2,680余年まえに、神倭磐余毘古尊が日向(現在の宮崎県)から大和(現在の奈良県)へ道なき道を踏み分けて、善良な人々を苦しめている土豪たちをたいらげ、すべての民が幸せで豊かに暮らせるように、橿原の宮で日本の国を建国して第一代の天皇に即位されました。その即位された日が2月11日の祝日「建国記念の日」です。

当社ロゴマークの八咫烏

八咫烏やたがらす

 当社のロゴマークに使われているのが八咫烏です。
 神倭磐余毘古尊が紀伊(現在の和歌山県)の熊野から大和へ向かう道中において、険しい山を越えるために、天照大御神が道案内として遣わせたのが八咫烏です。八咫烏の道案内によって戦いに勝利しながら無事に大和へ向かわれます。

金色こんじきとび

 御祭神の画に描かれているのが、金色の鵄です。
 熊野を経て大和へ向かう道中、長髄彦ながすねひことの戦いがあります。長髄彦の軍は強く大軍であり、要害の地に立てこもっているため、容易に打ち破ることができません。神倭磐余毘古尊は丘の上に立ち弓を持たれ、全軍を指揮しておられました。その時、急に黒雲が空を覆い辺りは真っ暗になり、雹が降ってきました。そこに一羽の大きな金色の鵄が現れ、神倭磐余毘古尊の弓の先に止まりました。その燦然と輝く光に長髄彦の軍は目が眩み散々に打ち破られました。

引用:大日本神社大鑑.北海道・樺太版